Nonkunのブログ

主にゲーム関係について書いてます

 続・ゲームを買う条件

http://pcweb.mycom.co.jp/column/itshihonron/048/

近勝彦氏のコラムは最近知ったので今読み始めているところなのですが、以前書いたゲームを買う条件を考える上で非常に参考になります。

購入前に購買者が評価できるような財を「探索財」という。中間的なものとしては「経験財」がある。これは財の消費過程で財の特徴を理解できるものをいう。さらには、購入後も本質的に購買者が財の特性を理解できないものは「信用財」と呼ばれる

もちろんゲームは「経験財」ということになります。やってみなければわからないという特性、自分を通じてしか評価が出せないシロモノ、食事や映画と同じカテゴリですね。

そう考えると、

●[ソフトウェアとハードウェアの国内総市場規模は4,462億円] ソフトウェアおよびハードウェアの国内総出荷規模から推計した、国内における総市場規模は4,462億円でした。内、ソフトウェアの国内市場規模は、8.2%減の3,091億円、ハードウェアの国内市場規模は、16.7%減の1,372億円となりました。

という結果を鑑みるに、ゲームユーザーは豊富に「探索財」(ゲーム情報誌やネット上のゲームレビュー)を消費しているにもかかわらず、本来志向しているはずのゲーム消費には至らないという結果になります。

というより、「探索財」でお腹いっぱいになりゲームをやる必要を感じていないのかもしれません。このコラムには財の種類についての関連性は書かれていませんが、「探索財」の多くが「経験財」に依存していると考えればそこに利害関係が生じてもおかしくはない。いや、簡単に言って売るための「探索財」が関係ないはずがない。

ゲームの消費は昔に比べて加速度的に早まっていると思います。それなりに高価なコンピューターゲームは一本買ってスルメを噛むように遊んでいた時代から次々と発売されるゲームをクリアしていく時代に移りました。そしてクリアすることに疲れた時代へ。もうミニゲームや(広義の)パズルに魅力を感じなくなった時代へ…。

その一端が攻略系ゲームサイトの出現でしょう。もうどんなに難しいパズルを作っても、全国で一人が解いてしまえばゲーム内の価値は無くなります。

もともとゲームというものは、それがパズルオンリーのゲームならいざ知らず、最後まで遊んで欲しいのが開発者の本音でしょう。しかしそれを阻害する障害をゲーム内に入れることも開発者の仕事だったのです(これまでは)。だから、だれでも最後まで行けるように難易度を調整するというおかしな作業が重要になり、そこに開発者のパラドクスが生じる。

しかし、そのような作業も無意味。そしてユーザーもそれを望んでいない。ならばどのようなゲームを作ればいいのか−。

以降はコンテンツの消費特性を考えてみたいと思います。

もう寝ますzzz