Nonkunのブログ

主にゲーム関係について書いてます

 ゲーム市場の現状

http://pcweb.mycom.co.jp/column/itshihonron/049/

もうこの連載はゲーム市場を語っているとしか思えないほど問題点を的確についてくる。この次の「ジフ構造への挑戦」というコラムは、まさにゲームがこれから行くべき指針が書かれているといっていい。そして、僕がやりたいと思っていることでもある。

さて、今回の「ディープ・コンテンツ」というコラムでは「ひとり勝ち現象」を分析している。そして、「ひとり勝ち現象」は「ジフ構造型市場」であるという。ジフ構造型市場とは

このジフ構造(Zipf structure)とは、第1位のものが、かなり突出して市場を獲得し、第2位、第3位となるにしたがって獲得規模がかなり小さくなるような市場構造である。これは寡占体制と言われることがあるが、狭義の意味での寡占が、少数の供給者によって供給される市場様式であるのに対して、ジフ構造的寡占は、供給者数は多数に及ぶにもかかわらず少数の上位者が過半の市場を握るような市場様式をいうと考えられる

という。

ゲーム市場は恐ろしいほど多量のソフトで溢れかえっている。未だにゲームで一発当ててやろうという甘い考えの人間が多いのかどうかわからないが、もうそんな1アイディアだけで売れるような時代でもないし市場でもない。

ゲームを買おうとするユーザーは金うんぬんではなく評価を重要視する。評価が高ければ買うし、低ければ買わない。自分で買って判断しようという人もいるとは思うが、ネットでの評価を見ない人もいないだろう。携帯でもパソコンでもゲームレビューサイトはいくらでもある。買うまでわからないブラックボックスに多少でも光を見いだすとすれば、それは他人の評価以外にないからだ。

ゆえにゲーム市場は実力だけが勝負の厳しい生存競争が繰り広げられることになった(ガンダムだけは例外だが)。シリーズ物の安定感もゲーム会社の安心感も全く当てにできない。ソフトの売上低下はゲーム市場の縮小ではあるが、ハズレのソフトを極力買わない努力をユーザーが行った結果であるとも言える。

このコラムでは映画を例にしてジフ構造型市場であることを説明しているが、ここで強引ではあるがゲーム市場でもデータを検証してみよう。


Playstation2歴代売上ランキング(集計期間:2000.3.4〜2004.10.31)
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hokora/ps2rank.html


ここにあるデータを使って計算すると、100位までの売上の中でTOP10の占める割合は約24.6%、TOP20の占める割合は約40%となった。

ただ、ここに載っているTOP100自体が選ばれしゲームとも言えるので、できればPS2で発売された全ての売上本数からTOP100をやるべきだと思う。また、映画と違いゲームは本数で計算しているので価格競争力を考慮に入れていない。シンプルシリーズやベスト版ならではの上乗せ分はそのまま計算してある。まあ、これを完璧にやろうと思ったらちょっと素人じゃ無理ですな。

それでもジフ構造型市場であることはわかると思う。ざっとランキングを眺めるだけでも大体の感覚はつかめるだろう。

僕は前に大作主義はユーザーの惰性がなせる技と書いた。確かに情報が乏しい時代にはネームバリューがものを言うし商業誌の煽りを純粋に信じた(子供だしね)。だが、どんな分野でも成功する人間は一握りであり、優れた作品もまた少数であるというのは否定しがたい。黎明期に楽園で木に実っているリンゴを欲しいだけ取れた時代から、限られたリンゴを実力で奪い合う時代に変わった。ユーザーの目は肥え情報は溢れかえっている。大作に集中するのは映画でもゲームでも小説でも同じなのかも知れない。

しかしあまりに、あまりに捨てられるゲームが多すぎる。そしてアイディアの蓄積という部分でも大きな損失を犯している。ゲームという文化を次代のクリエイターに託したいのなら大作主義の中で埋没した作品に光りを当てる作業を始めなければならない。

もちろんパブリッシャー側は売上重視でいいと思うし、それしか考えられなくてもしょうがないだろう。しかし、新たな表現方法や技術の蓄積といった金にならない要素も文化の根底を支える重要な財産だ。

もっとゲームが多様化し細分化すれば様々な表現方法が編み出される可能性もある。それをまったくのボランティア精神でやらなければならないのはちょっと苦しい気がする。まあ、それでもやりたい人間だけがやるしかないのだが。