Nonkunのブログ

主にゲーム関係について書いてます

 PSPとはなんだ!?

それにしても、DSvsPSPなどという構図で初期不良をネタにした話題ばかりで辟易する。ゲーム業界の末席にいる方々も、ソニーの内情に詳しい方々も、どんなゲームを作ってるんだがわからないゲーム開発者も面白がって騒いでいる。確かにDSは国内出荷百万台を達成して業界としては喜ばしい限りだが、初期不良でDSvsPSPの決着は着いた、着かないの話をしてもしょうがない。

現在DSは絶好調で、ここに書くまでもなく売れている。GBAでの圧倒的なアドバンテージを背景としてタッチパネルというインターフェースが受けているようだ。

対するPSPはどうか。別に売れていないわけではない。これまでに数々のGB対抗機が敗れ去っていく中で、明らかにPSPは傑出している。そして、このような考え方が間違っていることにも気づく。PSPは過去のGB対抗機など相手にはしていない。あえて無人の荒野を目指して突き進んだのだ。恐らくDSすらそこに含まれていないのだろう。ゲームというカテゴリを捨てた先にある家電としての役割、ゲーム以外のライフスタイルを開拓するためのハード。久多良木社長は「21世紀のウォークマンを目指す」と言ったが、それはまさに25年前に発売されたウォークマンそのものを目指すことに他ならなかった。

しかし、PSPはどのような形で僕たちのライフスタイルを変えようとするのか。
カセットレコーダーをステレオで聞けるようにしただけのウォークマンがあそこまで売れたのはライフスタイルを開拓したからだ。街の中で音楽を聞くという発想は確かになかったし、若者達に圧倒的に受けた。録音するためのカセットレコーダーを再生のみという機能に制限したウォークマンは中途半端な商品として社内から批判を浴びていたのだ。売れるわけがないと。それを当時の会長、盛田昭夫氏は職を辞する思いで断行した。この辺りの話は伝説としていろいろなところで見かけているかもしれない。

携帯するという行為は用途に合わせた形状を要求する。しかし、あらゆるものがデジタル化した今となっては、再生さえできればなんでも代わりになってしまう。ゲーム・音楽・動画などはケータイでもPDAでも、もちろんDSでもPSPでも再生でき、携帯可能でどこでも持っていくことができる。僕たちのライフスタイルにこれらの要素は完全に含まれており、それを一緒にできようとできまいと何か変わるわけでもない。むしろ、それぞれの機能に特化したほうが差別化を図れて都合がいい。それがDSであり、新たな娯楽を提供するという目標のもとに任天堂が目指した携帯ゲーム機の姿だった。

PSPは爆走する。全てを取り込み、携帯できるものは全て携帯する。それがコンセプトであり目標であるならば、ゲームの分野でPS2の焼き直しばかり発売する現状はむしろ予定通りなのかもしれない。『ゲームできる』ならばPS2で成功した方程式をそのまま適用できるからだ。ゲーム分野だけなら現状のPSPに向けられている批判は全くその通りだろう。新たな娯楽を創造するDSとの対比は余りに明確だからだ。

カセットレコーダーにヘッドフォンを突っ込んだだけのウォークマンにおける技術革新のひとつは、大きかったステレオジャックを小さくしたことにあるという。PSPではUMDがこれにあたるのだろうが、結局PSPの成功はこのUMDがどこまで普及するか否かにかかっていると言ってもいいのではないか。最終的にゲーム再生用のメディアで終わるなら、PSPに将来はないだろう。…しかし、いくら想像してもPSPで映画を見ている図はそれほどゾクゾクさせないのだ。

考えられる可能性としては、ウェブブラウザの採用や電子書籍との連携がある。要するに情報端末としての機能だ。今のところケータイが少しずつ浸食しているが、どうしてもインターフェースが悪すぎて使えない。この分野にPSPが入っていければ、大きな液晶と抜群の操作性、メモリースティックへの保存、無線LANの使用によるアクセスの簡便さなどが強みになりそうだ。ケータイと違ってパケット代などが必要ないのも大きい。いろいろなアクセスポイントで情報をピックアップしてメモリに保存できれば、これはライフスタイルが変わりそうな予感はする。ひょっとしたらUMDは電子書籍の保存媒体として使われるようになるかもしれない。

だが、そんな話は久多良木社長からは聞いたことがない。彼が背水の陣を引くほどの決意でPSPを販売したのかどうかは定かではないが、「21世紀のウォークマンを目指す」という言葉はそれほど軽くはないはずだ。かつて任天堂から袖にされたプレステを成功に導き、PS2を全世界にばらまいた実績はそれだけで伝説の創業者に肩を並べるぐらいだが、未だその片鱗をPSPから見ることはできない。可能性にしか望みを託せないPSPは、生まれながらの天才・ニンテンドーDSに刺激を受けつつ成長を続けるだろう。そして僕たちがいつのまにかPSPをDSと共に持っているのなら、それで幸せではないだろうか。