Nonkunのブログ

主にゲーム関係について書いてます

 逆転裁判〜心と体の問題

逆転裁判というゲームは死んだ人間が霊媒師の体を通じて自由に行き来ができることになっている。それがストーリー上重要な意味を占め、3の最終話ではそのこと自体が問題になっている。

いわゆる心身二元論というやつだが、霊が体を伴わずどこかを漂っているという感覚は理解できなくはないとしても、死んだ誰かを思い浮かべるとき、結局は顔や体という外見をイメージする。火の玉のような物を思い浮かべて故人を偲ぶことはできないのだ。あらゆるものが、例え空想上のドラゴンでも、絵を思い浮かべなければ考えることすらできない。

そしてその矛盾を、霊媒すると顔や体も変化するという荒技でこのゲームは克服した。それがどんな原理でどういう理屈で顔が変わり背が高くなるのかを問うのはナンセンス。それはいい。しかし、最終話ではこれが原因でストーリー自体が崩壊しているのだ。

※以下、ネタバレなので未プレイの方は読まないでください。



最終話、キミ子の計画を知っていたゴドーは、ハルミの行動を阻止するためにマヨイの母親であるエリスにちなみの霊媒を依頼する。霊はひとつしかいないので、ハルミより先に霊媒すればハルミがちなみになることを防ぐことができるのだ。

ここまではいい。しかし、結局はちなみに体を乗っ取られたエリスは、娘であるマヨイを殺そうとしてしまう。そして一部始終を見ていたゴドーはマヨイを助けるためエリスを刺し殺すのだが…。

この計画はちなみを霊媒しなければまったく無意味な内容だった。そもそもハルミの行動を知っていながら止めなかったゴドーもよくわからないが、霊媒すると自由に体を操られることをわかっていながら霊媒するエリスもよくわからない。霊力が強ければ制御できるならまだしも、いいように操られてはハルミでもエリスでもどちらでもちなみにとってはよかったことになる。

そして、刺し殺さなければならなかったところまで待っていたゴドーは何をやっていたのか。これではちなみのためにお膳立てをして、意外な犯人役のためにエリスを殺しただけだ。

死者はいつまでも現世を漂い、成仏することができない。憎しみを持ち続けたままの情念が死ぬことにより救われることもあるのだが、肉体を得ては憎しみを増大させそのはけ口として人間が死んでいく。全く不毛な因果の輪廻。作者はこの最終話をもってとりあえずの結びとしたが、さすがに霊媒を主とした世界を法廷に持ち込むことに限界を感じずにはいられない。

心と体の問題はゲーム内容だけではなく、ゲームそのものにも関わっている。

逆転裁判というゲームそのものが携帯ゲームという形でなければ誕生しなかったことは想像に難くない。これまでのテキストゲームの中でも特によく動くキャラクターはその小さな画面だからこそ生きてくるのであるし、削るだけ削ったメニュー項目と選択肢は簡便さを必要とされる携帯ゲームだからこその発想と言える。大きいTV画面では読むことが苦痛な文字も、見やすい位置に動かして読むことができる。体に合わせた心のあり方、ゲームというものがPSから離れ様々な場所で活躍するようになってから、とても重要な項目になりつつある。

心と体は共に存在するからこそ実りある結果を導き出すことができる。その意味で逆転裁判は携帯ゲームという体を意識しシステムという心を充実させた秀逸なゲームだった。

最終話での心と体の乖離がゲームを破綻させる結果になったことは偶然なのだろうか…。