Nonkunのブログ

主にゲーム関係について書いてます

 ゲーム好き少年のこと 1

http://www.yomiuri.co.jp/features/neya/200502/ne20050215_03.htm


僕たちは数多くの冒険を目の前のスクリーンから体験してきた。外がバブルで沸き立とうと、お立ち台でボディコン(body consciousの略らしい)ギャルが扇子を振り回そうと、中東で戦争が起きようと、僕たちの目の前では勇者がモンスターを倒していた。しかし、それは学校と自宅との往復運動の中ではさほど差異のない事柄だったのかもしれない。いつの間にかバブルは弾け株価は三分の一になり、ボディコンギャルなどという人種はどこかへ消えてしまった。戦争はまだやっているが。

そして、僕たちは未だにゲームをやっている。それはモンスターを倒すことに限定されることではなく、いつでも誰かと話しをしたり、メールを送ったり、電波で送られる情報に目を通したり、そうやって目の前のスクリーンを見つめ続けている。外では何かが起きているのかも知れない。だが、それをいちいち気にしていては気が狂ってしまう。ある程度の無視は現代人の防御手段だ。家の中から持ち出したのはゲームではなく、自室と同じプライベート空間なのだ。だから邪魔されるとキレてしまう。

現実とゲームの区別がつかないと言われて久しいが、ゲーム好きの少年が先生を殺すまでには必ず現実を見つめ直す時間があったはずだ。もしゲームが好きで、それだけで生きていけるなら、人を殺そうと思うはずがない。目の前に繰り広げられる冒険に満足していればいいのだから。

そもそもゲーム世界において自分という存在は主人公によって抽象化されているのであって、生の自分がゲーム世界で苦悩などしないのだ。自分は現実で苦悩する。現実とゲームが混同しているのならもっと気楽に苦痛など受けることもなく生きていけるはずだ。

しかし、そのような都合の良い割り切り方などできない。現実とゲームが混同するなどウソだ。全く逆で、現実世界とゲーム世界の落差が大きくなっているのだと思う。そしてゲーム世界とはTVゲームに限った世界ではない。ケータイの向こう側の世界もTVの向こう側の世界もネットの向こう側の世界も学校という世界も、現実という重みを受け止められるほどの価値があるのか疑問である。

http://www.yomiuri.co.jp/features/neya/200502/ne20050218_02.htm


少年は中学校一年で不登校になったらしいが、その後わずか5ヶ月後大検に合格している。そして有名私立大学の受験目指して事件の起こる直前まで塾に通っていたらしい。将来はゲームクリエイターになりたいという夢にしてはストレートにゲーム系専門学校を目指さないところなど、よっぽど現実を直視した選択だとすら思えてしまう。頭が良く、将来の夢も持ち、夢を叶えるための努力もしている少年は、不登校児であることを除けば学校教育の理想像そのままである。

中学一年生の頃から不登校であるのなら恨みを持つのは当然中学校だろうと思うのだが、小学校へ侵入して先生を刺してしまった。いじめられた時何もしてくれなかったと言うが、17歳まで生きて突然その頃のいじめを理由に殺しに行くなど考えにくい。家と塾を往復し勉強を続けている境遇にいきなり絶望したのはなぜか。それは現実世界とゲーム世界が往復不可能になってしまっていることに気づいてしまったからではないのか。

※長いので続きます。