Nonkunのブログ

主にゲーム関係について書いてます

日本を核攻撃したいのは日本人か

映画『ローレライ』を観る

今回映画化されるということで事前に小説を読んでおこうと買ったのですが、どこをどう間違ったのか『亡国のイージス』を上下2巻買ってしまった。結局『終戦のローレライ』は読むこともなく予備知識なしで映画を観たのですが、やはり『亡国のイージス』の遺伝子は生きているというか、祖国へ向けた日本人の攻撃というところは似ています。ただ、映画だけを観て判断するのは非常に危険なので小説も後で読みますが。

こういう映画って何を期待して観るのだろうか。カップルが暇つぶしに観てもそれなりには楽しめますが、「あー、面白かったねぇ」で終わるなら絹見艦長も浮かばれないだろうなぁ。映画っていうものは所詮2時間ほどの幻を見せられるだけなので、終わってしまえばあっという間に日常の中で忘れられてしまうものだから。

最近は日本人による日本攻撃が激しく、それが太平洋戦争で死んでいった人々に対する後ろめたさみたいなものなのかわからないが、全く平和な世の中で我が世の春を謳歌している若者が観てもそれを感じるだけの受け皿がないと思う。もちろん自分もあるとは言い難いですが。

戦争で負けた国は一生敗戦国として戦勝国を時に讃え時に貶めて生きていくしかないのだろうか。お隣も随分日本を忌み嫌っているが、戦いに負けた悔しさは戦いに勝利して晴らすしかないのだろうか。既に決着は着いてしまった。今さら武器を取って戦うわけにはいかない。だから僕たちはせめて映画や小説やゲームの中で武器を取り戦っている。これじゃあ自慰行為と同じだけれど。

突っ込むところはいくらでもあります。いきなり少女が管付けて登場したりわざとらしく手がはさまったり。寄せ集めのクルーが世界を救うシチュエーションもどこかで観ましたね。60年前に3DCGが表現されていることはもはや笑った方がいいです。

日本に核攻撃したいのは北朝鮮ではなく日本人自身なのかもしれない。
この国は常に映画やアニメで怪物に日本を襲わせて、そのたびにヒーローが現れて敵を退けてきた。戦うことを止め平和を希求する日本人に外敵はいつも攻撃をしかけてくる。本気で国の為に死んでいった人がいるという現実をそのまま受け止めることができず、平和をただただ享受する現状があまりにも申し訳なくて、核攻撃でも受けなければ戦死した人々に顔向けできないと考えてしまうのだろうか。

マスコミやクリエイターは日本人を煽ります。フィルムの中の戦争が真実、この平和な世の中が虚偽…とかね。どんなに煽られても日常は強固で人々は気にもしませんが。物が溢れ生存の危機がなくなった世の中ではせめて架空の世界で戦うしかない。娯楽として戦争が必要という倒錯した現代では、ローレライは永久に発見されないでしょうね。