Nonkunのブログ

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[ゲーム]大航海時代ONLINE 〜MMOにおける時間の概念

※画像はマルセイユにて
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大航海時代』は僕が好きなゲームのひとつで、初めて徹夜してしまったゲームもこの大航海時代だった。モンスターを倒さずレベル上げをしないというジャンルで交易と発見をメインとしたゲーム性は他に類をみない。歴史シミュレーションゲームを追求してきたコーエーが戦いという世界の中ではなく、戦いという『場』を求めて世界の外へ向かうゲームを作れたのは、『信長の野望』から続いている内政という概念と無縁ではないかも知れない。破壊や暴力に塗り固められた戦国の世でも稲を植え続け物を作り続けた民衆の生活を描いた軌跡が、生産そのもの、人々の生活そのものを描こうとする道しるべになったのだろう。

今回MMOというジャンルに『大航海時代』が登場した。
MMOというジャンルが既に成立しているのかしていないのか定かではないが、多数の人間が同時にプレイするという意味合いしかないのであれば、この大航海時代は結局のところ同時にプレイしていることにはならない。

こういうパラドクスがある。
ある双子A,Bがいる。Aが旅行のため宇宙船に乗り、Bが地上にいるとする。長い旅を終え宇宙船が戻ってきたら、Aは若いままなのにBは老人になってしまっていた…。

『双子のパラドクス』という有名なお話でもちろんこんなことにはならないのだが、この『大航海時代』では当たり前のように存在している。

この世界では航海している間しか時間が進まない。例えば双子A,BのうちAがリスボンを出発して10日後戻ってきても、リスボンにいたBは時間が進まないのだ。つまり、ゲーム内の時間はあくまで航海にしか関わらないのであってその他には無関心なのである。それでいて相場は刻一刻と変わるという性質を持っており、ゲーム内の時間と現実の時間が共存する奇妙な世界になっている。つまり、プレイヤー各々が独自の慣性系に属しており、互いに全く別の空間に存在しているかのような状態なのだ。

もともとキャラクター自体に時間の経過が見られるわけではない。それは死なないという"不死"の前提が崩れてしまうからだ。いつでも遊べいつまでも遊べる為にはゲーム内の時間をそれぞれのプレイヤーに分割するしかなかった。その結果ゲーム内を通底する時間の概念が無くなり、相場が現実の時間内にどれだけ売買があったかを反映する時計の役割を果たしているに過ぎない。逆に言うと、相場が変動しなければプレイヤー各々に与えられたスタンドアロンのゲームと大差ないのだ。オンライン化した狙いが常に変動する相場にあったことは想像に難くないが、ゲーム内に時間の流れを設定できない今のMMOでは大航海時代という時代の流れを楽しむことはできない。個別のストーリーがプレイヤー各々に進むだけではその世界に存在している感覚・臭いを感じ取ることができないのだ。

MMOゲーム全てに共通する『時間』の問題は、全てのプレイヤーに同じサービスを提供しなければならないことに起因している。2ヶ月後にプレイを始めるとすでに胡椒がありふれたものになっていたら興ざめだろうが、先行者が利益を占めるMMOであれば結局のところ早い者勝ちの風潮は否定できないのだ。

しかしキャラクターに死の概念を与えれば先行者の利益は時間によって制限され、その成果は後続プレイヤーのヒントとなり血肉となる。大航海時代が果ての見えぬ海の向こうを目指した冒険者達のしかばねで形作られているとすれば、死の概念はゲームのテーマそのものを構築する重要な要因にすら成りうるかも知れない。

MMOの世界はキャラクターに開かれているのではなくプレイヤーに開かれている。よってキャラクターは年をとることもできなければ死ぬこともできない。それに対してプレイヤーには有限の時間が流れており遊び続けることはできない。スタンドアロンのゲームがクリアという終着点を設けているのに対して、MMOはプレイをやめるということでしかクリアできないことになる。

プレイヤーは年をとり続けキャラクターは永遠の時間を生き続ける。
そう考えると、MMOというゲームは『双子のパラドクス』を作り出すためのゲームと言えるのかも知れない。