Nonkunのブログ

主にゲーム関係について書いてます

電車男と交渉人〜匿名性の明暗

電車男 http://www.nifty.com/denshaotoko/
交渉人 真下正義 http://www.odoru-legend.com/

だいたい映画に行くときは一日に2本観るのだが、今回の2本はたまたま『電車』がキーワードになっている。単純に舞台が電車であるというだけではなく、『電車』という匿名性の強い空間で、一方は『実名』を伝え、一方は『匿名』であり続けたという意味で対称的であったことが面白い。以下、多少のネタバレを含むので完全に情報をシャットアウトしたい人は読まないでください。

電車男』は2ちゃんねる上で交わされた書き込みを元にして作られた映画だが、作中では抽象的なイメージで描かれている。元々の出演者が『電車男』に『エルメス』ではリアルに描きようがないという事情もあろうが、そこに確実に存在するであろう『多数の匿名の他人』を電車男によって影響を受けるリアルな人々という位置づけで登場させることによって、作中作の態を成しているのだ。

電車という空間はしばしば公共性の崩壊という現場にされる。ケータイや化粧、痴漢もそうだが、見知らぬ他人が狭い空間で密集したとき、そこに自然と公共性が生まれるという常識は完全に崩れた。最後に残ったのは『無視する』という勇気だけ。

車内で女性が暴漢に襲われたとき、それを助けようとするには2つの勇気が必要になる。第一は暴漢と戦う勇気、もうひとつは『匿名』から『実名』に変わる勇気。どんなに強くたくましくとも『車内にいる誰か』という匿名性を維持したいと思うのが大多数ではないだろうか。しかし、電車男は自ら名乗り出た。交番で被害女性達に住所・氏名を教えるくだりは、まさに『実名』として現実世界に降臨したことを示唆していて興味深い。『匿名掲示板』の2ちゃんねる住人である電車男が『実名』をさらして現実世界に降臨したときに、彼のシンデレラストーリーは既に始まっていたのだ。

対して、『交渉人 真下正義』では『匿名性』自体を犯人にしている。交渉はネットやデータベースを活用して行われるが、最終的には「カン」と言い続ける。それは生身の人間が戦っているという意味合いを強調したいのだろう。ダイヤをペンで引くじいさん、手動で操作する運転手、「カン」で捜査する警視(らしい)などは『匿名性』など微塵もない実績の上に成り立つ人物たちばかりだ。誘導尋問に引っかかる犯人はお約束だが、人間らしさが犯人の敗北を招いたのは適度な皮肉として理解してもいいだろう。

しかし、本来自分の恋愛話など恥ずかしくてできないのが普通だが、匿名であるからこそ相談できるというのは何という皮肉だろうか。面と向かって他人に飯どこがいいか考えてくれなんて言われたら100人中100人断るのではないか。結局匿名の気楽さが功を奏したと考えると、私たちは『匿名性』という手のひらの上で踊らされているだけなのだろうか…。