Nonkunのブログ

主にゲーム関係について書いてます

原点回帰なのか新たな地平なのか〜Web2.0というもの

最近のゲーム周辺にまつわる記事を見るに、結局任天堂の目指した方向性というものの正しさが証明されるばかりである。

ゲーム系ブログを見ると、『どうぶつの森』が全てを象徴するかのような形で書かれている。もちろん100万本オーバーの人気ゲームが支持されていないわけがない。そういう意味でいうと、『ワンダと巨像』の切なさがより際だって面白いのだけれど、日本人社会が二極化するようにゲームも二極化に向けて加速している。

任天堂はより豪華になるゲーム市場で戦うつもりはないと宣言し、無人の荒れ地を耕して種を蒔き、既に刈り取りまですませている。一番業界で保守的であると考えられていた企業がチャレンジャーに転身し、新たな市場を獲得するという現状を見せつけられてしまうと、全くひれ伏す以外にない。

ただ、業界における大いなる保守・任天堂が支持されたのは、消費者側の意識の変化も大きいと思う。

昨今、コミュニケーション能力というものがクローズアップされているが、ゲームというものはもともと他人とコミュニケーションする道具として使われてきたものだ。あえて例を挙げるまでもなく、スポーツ・ボードゲーム・トランプなどというものは友達同士で親睦を深める目的で行われるオーソドックスなコミュニケーションツールだ。

コミュニケーションを声高に叫ぶのは、TVゲームというものがそれを妨げるものと思われていたからである。引きこもりや少年の凶悪犯罪とすぐに結びつけられてしまう現状は、ゲームというものが独りよがりの妄想や幻想を抱かせて、自分の全能感を満たすためのツールとして利用されているというプロパガンダの結果であろう。

そういった空気を感じたゲーム業界は自ら年齢規制を始めたが、それは年齢によっては遊ばせることができないゲームもあるということを認めてしまったことにもなる。細かい年齢制限は、ゲームというものは規制しないと危ない商品だと自ら宣言しているだけだということをわかっているのだろうか。

そういった社会からのネガティブな視線を受けつつ、何か新しい物をとTV画面とコントローラーの中だけで考え続けた業界全体は、ついに行き詰まってしまった。そしてその二つから解放されたDSが売れたというのは、結局ゲームとはコミュニケーションツールだという、ファミコン時代には当たり前だったことの証明をしただけではないのか。

元々ファミコンはデフォルトでコントローラーが2つ付いていた。しかも「ファミリー」でしょう。変わらなかった任天堂が注目を浴びたというのは、僕たちがようやく任天堂を理解した結果なのかもしれない。

2chがゲームだとかWeb2.0の時代だとかいう認識がどのように広まっていくかはまだわからない。しかし、一方でマリオカートを遊びながら、メールや2chでゲームの情報を交換する子供達が当たり前のように存在するなかで、ゲームだけ限られた敷居の中で侍的なストイックさを求め続けるというのもさすがに奇異に映る。むしろゲームの方が人間の持つコミュニケーション能力によって変化を余儀なくされた、または元に戻ったというのが実状ではないのか。

現代人は孤独だ。社会に出ると特に身にしみる。かつての友達と別世界を生きざるを得ない人々は多く、しかも家庭を持つことは一苦労である。Web2.0の世界は孤独な日本人の要請から生まれたコミュニケーション空間のような気もする。2chしかり。

匿名の社会は何もネットの中だけではなく一歩外を出た世界ですら大して変わらない。一人暮らしの気楽さと捨てられた公共性は、日本人をバラバラにする原因になっている。

オンラインゲームの中では公共性が重視されるという虚構と現実の倒錯した関係は、今の日本を象徴する縮図である。そんなにみんな無表情ではない。挨拶すれば頭ぐらい下げますよ。潜在している公共性を社会が引き出せていないだけだ。それがWeb2.0的なサービスが求められる理由なのではないか。

ゲームを文化とすれば、日本社会の変化と無関係ではいられない。日本人が作り出す文化にゲームが答えることができれば、新たな世界も広がるだろう。遊ぶことがそのまま人との交流に繋がるのがゲームというものならば、その姿をまた取り戻せばいいと思う。友達と遊ぶ面白さを知っているのは、昔子供だったファミコン世代なのだから。

ただ、そういった中でなぜRPGが売れるのかという視点も必要だと思う。RPGっていうのは詰まるところキャラクターとの交流であって、それは確かにゲーム内で閉じているけれども、全く別の世界に浸りたいという欲求もまた現代人の特徴である。

実はRPGというのは小説や映画・アニメを内包する既存メディアの集合体という、ゲーム初心者には至極アピールしやすい分野であると思うのである。映画を見るようにゲームをすることをファミコン世代は嫌うけど、それが鑑賞に見合うものなら全然かまわないと思う。主人公のパラメータを上げるゲーム性の先が、まだRPGにはあるはずではないか。

というわけで、来年こそはRPGツクールによるゲーム開発日記+ゲームとストーリーとの融合に向けて努力をしたいと思う。こうやって退路を断たないとやりゃしないんで。

みなさん、良いお年を。