Nonkunのブログ

主にゲーム関係について書いてます

ゲームには動機付けが必要

戦闘システムを持つシナリオでRPGを作るとき、どの程度の飛躍・あるいは進化を期待できるのか、また、それが望まれるものなのか、大いに疑問ではないだろうか。

大概戦いを描くRPGであると、ある国がモンスターに襲われて困っているとか、どこかの王国が大陸で覇権を争っているとか、勇者と呼ばれる選ばれし主人公を巡る冒険譚など、せいぜい限られている。主人公の行動がその世界になんらかの影響(ほとんどは救うか滅ぼすかという重大事)を与えるのがほとんどで、またそうでなければゲームとしても成り立たないものがほとんどだ。

オンラインゲームの出現、DSトレーニングどうぶつの森などのストーリーを楽しむことがメインではないゲームが支持される中、RPGの存在する価値とはなんだろうか。

もしストーリーだけで売れるようなゲームがあるとしたら、それは時代に選ばれた歴史的ゲームだろう。なぜなら、多くの場合そのようなゲームはゲーム性を問題にされないからである。

主人公を動かしながらストーリーを楽しむゲームをひとまずRPGとしたら、そのようなジャンルで生き残ったゲームはドラクエ・FFぐらいしかない。だからこのジャンルで売ろうとするならば、ドラクエ・FFなみのグラフィックとゲームシステムを持ってこないと話にならない。そこでRPGは行き詰まっているのだ。

今、電撃文庫角川スニーカー文庫などでライトノベルと呼ばれる作品が売れているが、それらの持つストーリーと比べるとRPGは幅が狭いし内容も20年前と変わっていないんじゃないかと思えるほどありきたりである。

ライトノベルの書き手は20代の若い作家がほとんどで、彼らが人生でふれ合ってきた本はもちろん、マンガやアニメ、ゲームなどをベースにした新しい切り口のストーリーは読者に刺激を与え続けている。もしストーリーで勝負しようとするなら今のトレンドに合わせた作品をすぐに投入できなければ勝てない。それをわざわざ無意味な戦闘シーンで繋げるお使いゲームで表現する理由は見当たらないし、遊ぶ意味もない。

FFのムービーに頼る姿勢を嫌うゲームユーザーは多いが、そもそも何十時間も長期に渡り戦闘を繰り返して、ほとんど会話のみで成立するストーリーをどのように楽しめばいいのか。ムービーのインパクトと毎回変わる戦闘システムでお祭り感を出さなければ売れるわけがないのだ。これからRPGを作ろうと思ったとき、ドラクエやFFは別物として扱わないと行く先が見えなくなってしまうだろう。

ゲームを買う動機がムービーでもブランドでも、それはひとまず肯定するしかない。求められる物を求められたように提供しなければ企業として失格である。

だから、せめてRPGツクールの作品にはゲームユーザーの興味をそそるもの、つまり動機付けをきちんと行えるものが欲しい。壮大なストーリー、斬新な戦闘システム、もちろんできればそうしたいし、それができれば歴史的名作になりうるが、それがゲームユーザーの興味の対象外なら意味がなくなってしまう。

オンラインゲームはコミュニケーションツールとして、DSトレーニングは脳を鍛えるという実利をともなうツールとして、どうぶつの森ファミコン世代にはノスタルジーを、子供達にはおままごと(といってもカブや人間関係など侮れないが)を楽しむツールとして、それぞれゲームユーザーに明確な動機付けを行っている。遊ぶ理由を提供してあげないとゲームユーザーは興味を示さないだろう。

もしストーリーを売りにしたいなら、ブログでも使って書くべきだと思う。例え結末がわかったとしてもそれはゲームに大した影響を及ぼさないはずだ。遊ぶ意味を提供することから始めるのがひとつの方法ではないかと思うのである。