Nonkunのブログ

主にゲーム関係について書いてます

カオナシとホリエモン

なんか月一連載みたいになってますねぇ。
ちゃんと考えがまとまってから書こうなどと思っていると全然書かないからちょっと雑談を。

ホリエモンはマンガのように転げ落ちたけど、ある意味かれの言う『金があればなんでもできる』は、半ば証明されたような気がする。地検が動かなければ、彼は株式市場で葉っぱの株券を刷り続けて金を増やし、宇宙にでも飛んでいってしまっただろう。本当にそれぐらい勢いがあった。

30過ぎて世の中金だと言っている人は大抵負け組である。それは金を持っていて裕福に暮らしている人間ではなく、金が無いから希望を実現できない人が言う皮肉の言葉だ。『所詮は金』『所詮は学歴』『所詮は顔』等々、これらの言葉は持たざる人間が言う言葉であって持つものが言う言葉ではない。

しかし、堀江は持つ人間だ。金に対する強烈なコンプレックスは報道された生い立ちを見ても微塵も感じない。金で苦労したわけでもなく、かといって遊んで暮らせるほどの名家に生まれたわけでもない。東大入って、それこそ検察官や弁護士を目指したわけでもなくベンチャー企業設立というのは、正直言って夢を実現できたニートだったんじゃないかと思えてくる。

普通は会社など入ってみなければ善し悪しなどわからないし、まして自分の望んだ仕事だけをやれることなどあり得ないことだ。だから大抵は我慢しながら愚痴でもこぼしつつ働くのがまあ、一般的だろう。それでも仕事にやりがいを感じることはできるだろうし、仕事を続けていけばそれなりに情も移ってくる。結局そうやって少なくとも日本人は会社というものとつき合ってきた。

しかし、堀江は自分のやりたいことをやって金を稼いだ。彼はやりたくないことを我慢してやり続けることに意味を見いだせなかった。自分の才能で金を稼ぎ、誰にも文句は言わせない…。どうですか、この理想郷。

けれど、このような生活は限られた一部の人間には与えられてもいる。
優秀な科学者や研究者、好きな物を書けば売れてしまう小説家や漫画家。ギターをかき鳴らしていたらいつの間にか巨万の冨を得ていたミュージシャン。生まれながらの天才であるスポーツ選手など、当たり前のように存在している。

この人たちは好きなことをやっていたらたまたま金が舞い込んできたようなものだろうけど、金そのものを集めることができる才能というものはどうなんだろうか。この才能は一体どのように評価されるのか。

これが霊感商法や金目的の新興宗教、オレオレ詐欺や闇金融であれば話は簡単で、仕掛けた人間を捕まえればいい。しかし、株式市場で金を集めた人間はルールに基づいて資金調達をしているのだから文句は言えない。今回のライブドア事件は風説の流布と偽計取引がとりあえずの焦点だが、これは上記のインチキ商法とは違い、強要して金を貢がせたわけではない。むしろ、応援してもらったわけだ。地検なんて入らなければ今でも金を生み続ける雌鳥を大事にしていただろう。

堀江の生み出す株式の下に、株主たちがひざまずく。ご機嫌を取り、振る舞いを賞賛し、時代の寵児と持ち上げる…。彼が見た光景はまさに、金にひれ伏す薄汚い人間達だったのではないか。その中には有名人も政治家もマスメディアの人間もいたのだ。

だけど、足下にひれ伏していた人間もやばいと思えば手のひらを返すように堀江を裏切る。買い集めた株式は投げ捨てるように売られ、買収した会社は逃げだし、提携したTV局は縁を切ろうと必死だ。結局、取締役が捕まって旧幹部がひとり死んで株価は一時期の10分の1以下になった。金の切れ目が縁の切れ目って、バカバカしいほど例え通りになっただけだ。むしろ堀江自身が『所詮は金』を人生をかけて証明したようなものだ。

千と千尋の神隠し』のカオナシは金をばらまいたが、それは自分を認めてもらうために金が必要だったからだ。金を出せばみんながかまってくれるが、金が無ければ見向きもしない。株価を上げる堀江は必要だが塀の中の堀江は必要ない。株主達に金を稼がせて企業としてそれなりに社会に貢献して従業員の給料も払って、気がついたら塀の中。これがマンガと言わずになんというのか。

暗い部屋の一室で画面に映るチャートを見ながら「使えねぇな、こいつ」とつぶやき売り注文を出す。これで黒猫でも膝の上に居たら立派な影の黒幕だ。どちらが踊ってどちらが踊らされたのかわからない。マスコミはどっちでも金になるから連日報道する。ただただ無常無情。顔のない人間があっちでもこっちでも沸いて出てくる。いつまで経っても『ホリエモン』と呼ぶマスコミは、自分達とは異質な存在であると必死に思いこんでいるようで笑わせる。

風説の流布、ねぇ…。