Nonkunのブログ

主にゲーム関係について書いてます

うらやましいアニメの現状

最近アニメを見る機会が多くなってきた。
昨年6月ぐらいに買ったDVDレコーダーを使って『アニメ』で検索したら70件ぐらいヒットしてびっくりしたが、これはもうその道の人にとっては既知のことらしい。
大抵1クール3ヶ月なので番組改編の時期になると作品の論評が始まる。今期はだめだったから来期に期待しようとか。こういうようなアニメの楽しみ方は今までになかったものだろう。

DVD販売のためのプロモーションという位置づけはすでに確立し、お金を出してくれるアニメファン達に「これはどうでしょう?」とお伺いを立て「よし、買った」とくれば大成功である。商品の中身をきちんと説明し、納得の上でファンは買うのだから極めて健全な商売が成り立っている。

で、ゲームは…と続くとお決まりの売り逃げ商法批判になってしまうのだけれど、いいかげんどうにかならないものだろうか。

結局売れてるゲームは実用的なもの、見て理解出来るもの、わかりやすいものである。…これはある意味当たり前だ。使えない物、理解できないもの、よくわからないものにお金は払わない。しかし、これにお金を払い続けたのがいわゆるゲーム世代で、僕たちはなけなしの金でゲームを買い、損失補填として中古ショップを活用してきたわけです。

その状況は20年経ってもほとんど変わらない。ネットゲームというジャンルが台頭してきて月額固定のものや基本無料でアイテム課金などの変化はあるが、その他のスタンドアロンゲームは未だに『買ってみなければわからない』だ。

今ならネットを使って地雷を踏む(クソゲーを買う)機会を随分減らすことができるが、果たして他人の評価を全面的に信頼していいのか、ひょっとしたら自分にだけはわかる開発者の狙いがあるのではないか、などと考えたら結局振り出しに戻ってしまう。

自分が危惧するのは、『わかりやすい』とか『実用的だ』という方向に引っ張られすぎることである。ネットゲームに対して「最悪でもチャットツールとして」などと考えるのはまさに最悪である。そんなゲームばかり大量に出てきてネットゲームはもう飽和状態ではないか。

アニメのなにがうらやましいかというと、『よくわからない』ものが売れるからである。こういう趣味嗜好に左右される商品は一定の基準というものがあるようでない。制作者のセンスや表現方法などにファンの議論が集中する。

一年ぐらい前の『ハルヒ』にしてもそうだけど、アニメ市場はファンのレベルも非常に高くて、制作者の『よくわからない』表現方法も自分なりに咀嚼して評価するところがある。そして評価すればそれはDVD購入という形できちんと返してあげる。その成功を見た他の制作会社はすぐにファンの評価を考慮して作品に反映させる。非常に良好な信頼関係をファンとの間に築いていると思われる。

また、アニメというものが完全に市民権を得たという側面もある。これはマンガと同じ経緯をたどっているが、結局良好なアニメはきちんと評価する土壌が出来ているからだろう。今時アニメを見ているからといってすぐにオタクなどと決めてかからない。サブもメインも無いけれど文化として完全に成り立っている。

ゲームはTVで放送できないしレンタルにも向かないという事情はあるにしても、ゲームなりの表現だとか手法というものが議論されてファンとの対話がなければ、その作品だけが死んで後はなんの参考にもならないということになる。昨今の高級ハードに対する開発費の高騰や『わかりやすい』ゲームが売れる現状では、制作者のセンスに満ちた『よくわからない』ゲームなんて売れるわけはないけれど、そこで何か勝負をしていかないとメディアとしてゲームは暇つぶしを超えられないと思う。もちろんそれでいいしケータイの中に生き場所を見つけるのなら別にどうでもいいが。第二のテトリスを目指してがんばってくれとしか言いようがない。

これだけ大量のアニメが作られるということは『当たらない』作品も大量に存在するということで、今の状況がどれだけ続くかはわからない。売れてるマンガなら大抵アニメ化されるような現状は作品が枯渇したときの不安を想起させるものでもある。けれど、ライトノベル、マンガ、アニメの連携はそれなりに強固なもので、どこかで当たれば他も儲かるという図式は商売としては堅い。しかしここにゲームはない。おまけのグッズレベルだ。

ちなみにデスノートものだめもアニメをみてマンガ揃えました。制作者の思惑通りだが知ってよかったと素直に思う。アニメは本当にうらやましい。