Nonkunのブログ

主にゲーム関係について書いてます

 一年の計は元旦にあり

遙か遠くに元旦は通り過ぎてしまったが、書くきっかけがないので有効利用しよう。

去年はWii一色のゲーム業界だった。
販売台数は国内で累計台数約300万台、全世界では約1000万台に上る。ここまでの普及を予想出来た人はそういないのではないか。明らかな色物扱いでゲームファンから軽視されていた発売前がうそのようである。

しかし、1ゲームファンとしては必ずしもこれがゲームの新しい時代の幕開けとは思えない。

昨今、『ゲームのコモディティ化』が進んでいて、似たようなゲームがグラフィックを変えて販売されている状況が続いている。『コモディティ化』とは商品の特性が均質化し、低価格で普及品化する状態のことを言う。

ゲームとは本来もっともそういう状態から遠い商品であるはずだった。ドラクエとマリオは比べられないし、ポケモンとテトリスを比べることも出来ない。それぞれがゲームとして独自の『品質』を持ち、数値として測定できない魅力を持っていた。

だが、いくらゲームが他の商品とは違う特性を持っていると言ってもコモディティ化は避けられなかった。しかもそれはもっと悲惨な形で起こっている。

ゲームの品質とは何のことを言うのか。グラフィック? 音楽? 確かにこれらもひとつの価値ではあるが、ゲームの品質とはやはり『遊びを生み出す構造』(アイディア)のことだろう。ドラクエがなぜ面白いのか、テトリスがなぜ面白いのかを考えれば、それはグラフィックでも音楽でもなく『遊びを生み出す構造』が面白いのである。

しかし、ゲームとして最重要なこの要素は皮肉にも簡単に真似ができてしまう。商品開発において他社に真似の出来ない独自の技術を持つことは重要なことだが、ファミコン時代ならまだしもこの時代に技術的な差を見せつけることは容易ではない。

だから綺麗なグラフィックを見せるかリアルな動きを表現するぐらいしかなくなる。『ワンダと巨像』のところでも書いたが、リアルであることがゲームの品質を高めることにつながるとは思えない。そもそもリアルになるとゲーム制作の幅がせまくなり、結局戦争モノのFPSか物理計算をする面倒くさいアクションゲームになってしまう。それが面白いという人もいるので一概には批判しないけれども。

反対にアイディアだけで勝負するようなパズルゲームやテーブルゲームは容易に真似される。もう大抵のゲームはケータイレベルでも遊べるし、価格も数百円や無料で楽しめる。PS3でHDテトリスを数千円出して買う人はまずいないだろう。

つまり、ゲームを制作することに必要なアイディアは容易に真似が出来、それを表現する媒体の低価格化により普及品化する(コモディティ化する)のである。

ドラクエやFFが未だ売れている現状というのは、このような均質化した荒野において確固たるブランド力を維持しているからである。正直個人的には限界だが、強度の低いゲームファンには安心できるブランドとして今後も残っていくだろう。


さて、この流れでWiiを紹介すると非常にずるい感じがするけど、だから任天堂はWiiを作ったという結論以外導きようがないからしょうがない。DSの成功の意味を一番理解していたのは当の任天堂であり、いちいちへたれ批評家が据え置き機は終わったなどと主張するまでもなく、ゲームの現状をわかりすぎるほどわかっていた。

『心身二元論』という考え方があるが、ゲームにおいてハードとソフトは互いに分離しているのだろうか。ドラクエがファミコンでもDSでもケータイでもできるような現状を鑑みれば、ソフトはハードと無関係にあらゆる身体に宿るように思える。実際動作条件さえ満たしていればソフトはハードの壁を越えられる。それが結局携帯ゲーム機の普及を反映してもいる。

しかし、それはゲームのひとつの側面でしかない。アイディアさえあればゲームは生まれるが、ソフトという精神世界だけの行き詰まりがゲームの幅を狭めていることは残念ながら明白である。

だから、Wiiや三国志大戦(これは次に書きます)というものはハードとソフトが分かちがたく結ばれていて、決してケータイではできない独自性を持っている。そしてこれらが絶大な人気を博しているのは新しいゲーム体験への欲求を満たしている結果でもある。ゲームセンターに個性的な筐体を持つゲームが増えてきたのもこのような『心身二元論』的なゲームからの解放、一元論的な主体性の確立(?)の反映ととらえてもいいだろう。


しかし、そうなると困るのがRPGである。もう何がRPGなんだかわからないけれど、とりあえずストーリーを登場人物の一人として楽しむゲームをRPGとすれば、これに大型筐体は必要ない。RPGというのは本当に精神的な世界でしか起こりえないゲームでしかなく、お化け屋敷やメイド喫茶的な体験型アトラクションの方向に向かうしかないんじゃないかという危機的な状況である。

それでもRPGが好きな人は約70%、2006年の年間販売本数はRPGが約21%を占める現状(2007年CESAゲーム白書)を考えれば、こういったハードに固執しないアイディア勝負のゲームが行き詰まるということは、ゲーム業界にとって大きな痛手を負うことになる。このパイを失うことは一番の顧客を失ってしまうことになるのだから。

なので、自分はこのようなアイディアのひとつでも考えられないかと思い、だらだらとブログを書いているという次第です。

『一年の計は元旦にあり』と言うし(とうに過ぎたが)、何かしらの可能性を示せればいいなと思います。