Nonkunのブログ

主にゲーム関係について書いてます

 エヴァンゲリオン〜パチンコとの出会い

エヴァンゲリオンが放映されてからもう10年になる。
いわゆるブームというもののまっただ中、あらゆる人間達が狂乱し、そこに居場所を求め、庵野秀明に裏切られたはずの作品。今一度見返してみると、フィルムのキレ具合に眠っているはずの野生が呼び覚まされ、アニメによって表現された現実にファンが蹂躙されているさまを想像しては薄ら笑いを浮かべてしまう。

なぜか歯を食いしばり、半笑いで観ている自分がいる。人形であるはずのキャラクターたちに魂を宿らせ、彼ら彼女らが自ら自己を表現していけばいくほど、監督は追いつめられ逃げ場を失い、最後にはキャラクターによって捕食されてしまう。S2機関を取り込んだ初号機よろしく、監督はファンもろともキャラクターによって取り込まれてしまうのだ。その先にある静寂と闇、そしてそこに生きるキャラクターは現実の人間とも作られた偶像とも違う独自の人格としてフィルムという異質の空間に存在し続ける。

今回パチンコでエヴァンゲリオンを題材とした台が登場し、高い支持を受けている。
かく言う私も久しぶりにパチンコをやり、熱いリーチとつながる確率変動に酔いしれている(今のところは勝っているので)。パチンコとエヴァンゲリオン。現実に帰れと叫んだアニメは非現実的空間によって召喚されることになった。

別にパチンコ論をぶつつもりは毛頭ないが、面白いものを面白いという勇気も必要だと思う。ゲームという性質が持つもっとも純粋なもの、確率という不安定なシロモノにお金という血肉を捧げるこの矛盾、取り込むか取り込まれるかの瀬戸際であやうく立ちくらむ理性という脆弱な存在を結局は最後の頼みとして信じているいいかげんな自己。ギャンブルの肯定と否定…。

思えばTVゲームというものは、努力が必ず報われるものだった。何度もやればうまくなる、攻略本を読めばクリアできる、そういう存在だ。

僕たちは知って知らずか、そのようにレベル上げを勉強のように繰り返し、当然のごとく強くなっていくキャラクターを作り出してきた。確かにそれも面白い。確実にうまくなっていく手応えを感じられるからだ。

しかし、もうぼちぼちおっさんになってきた僕たちは、いつまでも算数のドリルをやるのはつらいのだ。大体の操作はできるし、一通り理解すればクリアもそう難しくない。RPGなどは基本フォーマットの焼き直しなので、もう食い飽きたくらいだ。

おっさんが欲しいのは基本の先、その応用なのだ。

マンガやアニメは既に応用の段階にいる。エヴァンゲリオンはその集大成と言っていいものだし、細分化された嗜好はメディアの成熟度を示す証とも言える。

だが、ゲームは相変わらず大作主義。もともと個人レベルで作れるものではないとはいえ、一様の価値観を大作の名の下に押しつけられても困る。それは面白い・面白くないではなく、困ってしまうのだ。

特にドラクエは困る。内容は面白いし、期待通りなのだろうが、やはり困る。「ああ、こうやって進めていくんだろうな」と見えてしまったとたんに、「もういいや」となってしまう。それはつまらないからではない。押しつけられたゲーム性が困ってしまうのだ。

単純な確率のやり取りに夢中になってしまうのは、ドリルをやり続けるTVゲームからの逃避なのかもしれない。

ま、それでもやっぱり飽きますがね。つっこまない程度で遊ぶ余裕を持てば、エヴァはかなり楽しめると思います。