Nonkunのブログ

主にゲーム関係について書いてます

 プレイヤーはモンスターが憎いのか

RPGの主人公は大抵モンスターと戦う。
それは倒すべき敵であり、世界を恐怖に陥れる悪の象徴であり、プレイヤーにコントローラーを握らせる原因でもある。

ラスボス的存在者の下、様々なモンスターが主人公の行く手を阻むべく戦いを挑んできた。この構図は21世紀の今でもまったく変わらず存在し、エンカウントがシームレスになったぐらいの違いで脈々と受け継がれている。

しかし、プレイヤーとしては要所要所で配置されているボスに勝利する必要があるため、雑魚モンスターの挑戦を無視するわけにはいかない。つまり、モンスターも主人公の成長に一役買っているわけである。さして長い期間を要することなく、スライムで手こずっていた主人公は、クリアする頃には化け物的存在(それは世界を恐怖に陥れたラスボスを倒すのだから)になっているわけだ。

このような関係はモンスターを記号化することに拍車をかけた。彼らは経験値、お金という2つの価値によって計られ主人公の血となり肉となった。結局、モンスターという存在は主人公が強くなるための材料であり、戦闘はその手段に過ぎなくなった。僕たちはスライムになんら敵意を持っていないし、憎しみなど抱こうはずがない。

ジョジョ風に言えば、「血の詰まった皮袋」ならぬ「経験値の詰まった皮袋」であり、基本的にはその入手手段(戦闘に勝利すること)の難易度によって獲得ポイントは変わる。モンスターが例えどんな種類のどんな大きさであろうと、戦闘結果は全て数字に変換されてしまうので、モンスターの個性はグラフィックと攻撃方法によってほぼ決定されてしまうのだ。それは戦闘を事務的に処理していく行為をプレイヤーに強いることになり、RPGという物語表現とは別の部分、つまり主人公を成長させること(それはストーリーの中ではなくページをめくる行為)においてつまらなくさせる原因となってしまった。

理想としては、主人公がモンスターと戦っている行為そのものが物語として語られる部分にならなければいけないのだが、経験値とお金を稼ぐ行為に特化してしまった結果、途中に配置されたフラグを立てる行為のために苦労を強いることになった。

RPGというジャンルそのものが、ファンタジー風の世界で主人公を成長させながら冒険するという了解の上に成り立っているため、よくはわからないがモンスターが出てくるのは当たり前という世界になっている。しかし、そこで描かれるのは特に目の前に現れるモンスターとは関係ないストーリーばかりだ。憎くもなく、倒す必然もなく、戦闘シーンが必要だからそれっぽいモンスターを出すというのはあまりに適当でいいかげんな発想なのだ。

RPGツクールでも戦闘シーンが最初から作られているが、この無自覚なRPGに対する先入観が物語を伝える表現方法という方向性への妨げになってきたのではないか。

どうしてモンスターを倒すのか、という当たり前の前提条件すら考えられていないストーリーなど無意味で遊べるはずがない。それなら経験値稼ぎの戦闘などやめてストーリーを楽しめるようにシステムをシフトしたほうが何倍もマシだ。

結局、ドラクエをイメージしたRPGというジャンルから戦闘行為を無くしたものがテキストゲームになり、そこに創作の幅が広がったというのは、経験値稼ぎを繰り返す戦闘行為から逃れることができた結果なのだと思う。

真正面から戦闘付きテキストゲームを作るなら、とにもかくにも『戦う』という行為そのものの扱いにひと工夫必要になるだろう。