Nonkunのブログ

主にゲーム関係について書いてます

RPGの存在意義〜ストーリーを楽しむということ

コンピューターRPGでストーリーを楽しむとはどういうことか?
ということをつらつらと考えてみたい。

ストーリーを楽しむという要素はRPGを遊ぶ目的として大きな位置を占める。
しかし、それは小説やアニメを見ることと何が違うのかという疑問が湧く。

テキストやムービーを見ることによってストーリーを知る、これがRPGなら字幕付きCGアニメでいい。実際、いわゆる『ムービーゲーム』と呼ばれるRPGは多い。

これは物語を伝えるための手段が文字と映像、音声以外にないことが原因である。ゲームだと構えて遊んだ結果ムービーばかりだと騙されたような気持ちになるが、ストーリー重視の内容であれば作者の考えた面白い話を聞いてあげるしかない。

よく『ゲームとストーリーは相性が悪い』と言われるが、それはゲームがストーリーに縛られてしまうからである。アクションゲームでプレイ方法が決められているようなものだ。ストーリーはプレイヤーの自由度を制限する役割を担ってしまうのである。

とはいえ、ストーリーがなければゲームそのものが存在できないのも事実。どんなに単純な横スクロールアクションでも目的があるはずだ。アクションゲームにもストーリーがある。しかしそれをRPGとは言わない。この辺りのジャンル分けは日本の特殊なゲーム史によるところが多いのであまり意味はないのではあるが。

もちろん特殊な事情とはドラクエの存在である。日本においてRPGを考えるということは、結局ドラクエを考えることと等しくなってしまうのだ。


・ドラクエのゲームデザイン
ドラクエのような成長型RPGの場合、古き良き少年ジャンプの手法と同じで、主人公が戦いを繰り返すことによって強くなり、ライバルを倒して仲間を増やし、最終的にはみんなで力を合わせて世界を滅ぼす敵を倒す、という図式を踏襲する。

ドラクエ自体が少年ジャンプと密接に関わり、ドラゴンボールを連載中だった鳥山明がキャラクターデザインを担当したということで、当時の子供達に絶大な人気を博すことになった。未だにこの手法は変わらず、RPGと言えば少年ジャンプ型成長物語をイメージする場合が多い。しかしこれはRPGがゲームとして成り立つための『必要条件』である。

RPGに流れる時間、それはストーリーの進行と密接に関係する。
中ボスと呼ばれる存在は主人公のレベルがストーリーのスピードに追いついているかのチェック機能であり、繰り返される戦闘はストーリーを埋める時間そのものである。

つまり、モンスターを倒すことによって強くなること(主にレベルが上がること)は時間の経過をプレイヤーに実感させ、スライムを一撃で倒せることによって成長の度合いをプレイヤーに確認させる意味がある。繰り返される戦闘は成長物語の一部として切り離せるものではなく、その過程を経ることによって目的を達成する喜びをプレイヤーに与える。努力の代償をきちんと支払うということになるだろうか。ロールプレイングと呼ばれるゲームの大半は、この戦闘による成長システムをプレイヤーに楽しんでもらうことにある。と同時に、進行するストーリーと成長システムをシンクロさせることによって、あたかもプレイヤーが主人公となって戦っているかのような感覚を作り出すのだ。

ドラクエの偉大さはこの発明にある。20年経ってもなお、この形式は飽きられることなくRPGのひな形として存在し続けることがその証明だ。司馬遼太郎によれば、天才は型の創始者であるという。堀井雄二はドラクエという型を生み出してRPGを支配している天才だが、彼がその役目を終えるのはこの型がプレイヤーに飽きられる時なのだろう。


ライトノベルとRPG
小説、アニメとRPGは何が違うのかということを考えたい。
それはサウンドノベルを遊ぶことと、携帯ゲーム機で小説を読むこととは何が違うかを考えればいい。
主人公がプレイヤーであるということだ。

しかし、最近のライトノベルと言われる小説はやや趣が違うように思われる。
ライトノベル、またはキャラクター小説と呼ばれるような本が一時期話題になった。非現実の世界で物理法則を無視した超常現象や特別なチカラを持ったキャラクターが活躍する内容が多いのだが、つまるところ、読者がそういう奇妙な世界を体験するという体裁になっていることが多い。

平凡な主人公が異常な世界に巻き込まれる、または主人公が常人にはないチカラを使える、そのような状況を読者とともに『体験』する。
平凡な主人公はそのまま本を読んでいる読者の代弁者であり、彼の疑問は読者の疑問として登場人物にぶつけられる。おかしな世界に巻き込まれていく主人公とともに読者もその世界に引き込まれていく。

これは、読者がRPGをしているということを意味してはいないだろうか。
想定された主人公はもちろん物語の中にいるのだが、実際のところ読者を意識して、読者とともにストーリーを体験しているのだ。これが意識的か無意識的かはわからないが(もちろん両方あると思うが)、しばしばアニメのようだ、ゲームのようだと言われるのは、作者がこういう視点を少なくとも無意識のうちに持っているからなのだ。私小説とは明らかに違うのである。

だから、RPGの楽しみ方の一つとしてライトノベルがあるという風に思った方がいい。実際テーブルトークRPGを小説にした『ロードス島戦記』はまさに読むRPGそのままであり、多少の趣は違っても体験する小説という意味合いをライトノベルというジャンルは持っている。もちろん、著者がアニメ・ゲームを大量に摂取していることも原因だろう。

ドラクエの真似をしてキャラクターを変えればそれでRPGの出来上がり、というゲームが大量に、それこそ20年以上作られ続けてきた。すでにこのような方法論では、ストーリーのバリエーションではライトノベルに勝てず、表現力ではアニメにかなわない(対抗するには超美麗CGムービーが必要になる)。小説やアニメとゲームは違う、と言えるほどRPGにとってゲーム性は大きくはないのだ。

ならばやはり戦闘シーンをメインに考えよう。…また同じ結論になる。


・RPGの苦悩
以前、モンスターハンター三国志大戦について、これらの特徴はストーリーを排除したことにあると書いた。排除したことによってゲームクリエイターの活躍できる場が広がったのだと思う。
まず戦闘そのものを中心としたゲームシステムを基本に据えた上で、適合するストーリー性を薄く付与しているのである。

といっても、モンスターハンターに物語の主人公はいないし、三国志大戦にいたっては物語の『三国志』からイメージを借りているだけにすぎない。三国志大戦のストーリーモードを取り出して考えると、ただの紙芝居である。

ゲームが昔ながらのアクションに回帰しているのは、ゲーム自身がもつ特質、つまり勝負をつけるということを要請するからである。
勝負がつかないゲームとはなんだろうか。おそらくそのようなものはない。

RPGというジャンルの特殊性は、勝負をつける場が戦闘シーンにしか存在しないということである。これは本当に致命的だ。

だからこそ、最近のRPGには戦闘シーンをまるでアクションゲームのように表現しているものがある。また、将棋のような碁盤目に区切られたフィールドを使い、ゲーム→ストーリー説明→ゲーム、という紙芝居タイプも多い(これはSLGと呼ばれることもある。)。これ以外は昔ながらのコマンド戦闘を繰り返す『ドラクエ・FF型』くらいだ。RPGの物語を伝える構造はほぼこれで極まっている。

ひところ騒がれたオンラインRPGというものも、結局のところレベル上げに時間のかかる単純作業ゲームだった。これは、オフラインRPGというものがストーリーの完結をもって終わるのに対して、オンラインRPGでは永遠の時間のなかで生き続けてしまうことに起因する。もともとRPGとは物語を消費するために存在するのだが、終わらない物語を延々とやらされるオンラインRPGは、RPGの欠点である『ゲーム性は戦闘シーンだけ』という特徴がまともに露呈してしまうのである。

もちろん、そのような弱点を補完するためにアイテム作りだのスキル上げだのという成長システムを増やしているのだが、結局のところ単純作業には変わりない。
また、最近はアイテム課金という現実のお金でゲーム内アイテムを買うシステムも存在し、もはやRPGの質が金儲けに変わってしまっているような気がしないでもない。

かくしてオンラインRPGは期待された割に成長しないジャンルになってしまった。それもこれも、RPGというゲーム性の薄さが原因である(しかし、これはオフラインRPGをオンラインでおこなった結果である。未だオンラインRPGの方法論は確立されていない。オンラインでの堀井雄二は出ていないのだ)。

戦闘シーンを作り込みたいのならモンスターハンター三国志大戦になるし、ストーリーを楽しませたいのならライトノベルやアニメのほうがいい。

プレイする側も何を目的としているか明確にしづらいのがRPGというジャンルである。
結局のところタイトル名や煽り文句で買ってみるのが現状ではないか。ドラクエ・FFが売れるのはRPGというゲームジャンルがイメージ先行型の雰囲気ゲームである傾向が強いからかもしれない。


・あいまいなRPGという定義
『RPG』というものをwikipediaで検索すると『リソース管理運用ゲーム』という説明が出てくる。この考えが自分にはどうにもピンとこない。
例えばどれだけ深くダンジョンに潜れるかを競うゲームの場合、限られた資源をうまく活用することが重要になる。ローグライクゲーム(こういう単語を使うことがなぜかいやだが)などを考えればよくわかるが、クリアすることが目的の一人遊びゲームには大抵このような要素があると思う。

しかし、ここではストーリーを楽しむことが目的であるRPGを考えた。同じRPGというジャンルにストーリーを必要としないものがある以上、RPGというジャンルを一意に決めるような要素は存在しないのかもしれない。『リソース管理運用ゲーム』という意味づけもストーリー重視のなかで埋没している感もある。しかしそれもこれも戦闘シーンにほぼ集約されているという実情は変わらないが。

つらつらと考えてきたが、前からドラクエは話を進めるためのコマンド選択に、レベルという制限が加わったテキストゲームだと思っていた。それがいつしか戦闘がメインに考えられるようになり、モンスターハンターのようなゲームが生まれた。

いったいRPGがやりたいという人は何がやりたいのか。
もっと噛み砕いて「ドラクエみたいなゲームがやりたい」ということなのではないか。それなら全力で成長型RPGを作り続けることがユーザーの期待に応えることなのだろう。

しかし、すでに飽きた人もいる。それはドラクエに飽きたというよりも、ドラクエのような成長型RPGに飽きたのである。

こういうRPG難民を救うような新世紀は、画期的な戦闘シーンや美麗なグラフィックではなく、ストーリー構成までを含めたシステム全体にゲームクリエイターが関わったときに来るのではないか。

新しい型の誕生として。