Nonkunのブログ

主にゲーム関係について書いてます

続・RPGについて考える~GTAとの絡みで

ロールプレイングという『遊び』が広くゲームの世界に浸透した原因とは何だろうか。

現在のゲーム環境は、おままごとやごっこ遊びを楽しむためのものといっていい。それは今ならばテーブルゲーム以外はRPGと呼んでもいいような状況だからだ。

本来、人生というものは自分一人だけで精一杯のはずである。自分の人生にさっさと見切りをつけて他人の人生を生きてみたいと思うことは、現代の日本人にとってそれほど突拍子もない考え方でもない。

社会のあり方や人生の哲学、または生死に対する日常的な不安といったものとごく自然に対峙してきた人間の歴史の中で、今ほどそのような世界の大枠が遠のいている時代はない。それは特に日本においてそうであろう。

政治に対する庶民の無関心は結局のところ無言の肯定である。つまり、金の勘定さえ間違えずにやってくれればいい、という程度の期待といえる。誰が総理大臣になろうが金の配分の比重が多少違うだけで、政治体制が劇的に変わるような状況にはなりえない。せいぜい自民党から民主党へ切り替わるぐらいのものだ。
波風立てずなぁなぁにというところが日本の真骨頂であり、そしてそれは国民に支持されている。

別にかまわないと思う。それなりのリスクというものを背負うことが極端に嫌いな日本人であればなおさらのことだ。農耕民族だからとか島国だからとかそのようなことなどあるかもしれないが、おとなしくしてろと米国に言われればそのようにするのがアメリカ幕府の下で大商いをさせてもらっている富商の勤めだ。権力争いの座から落ちた人間とはこのように卑屈になるものかと思うほどである。

無駄話が過ぎるが、ようするに日本に巣くうこのような鬱屈した厭世感というものは人間から空想や妄想を引き起こすのである。アニメやゲームをひたすら持ち上げる現状というのは、裏側にある日本のこのような卑屈さを認めて恥じることをしない厚顔無恥さ加減を世界にアピールしているようなものだ。しかし、それでも我々にはアニメやゲームが必要であるところに、どうしようもない悲哀が存在する。

それは恐らく、かつての日本にはそのような卑屈さはなかったからであろう。元からこのように他国に媚びへつらって生きてきた国であれば悲哀もへったくれもないが、日本人の空想の源泉には権力争いの中で屈することをしなかった過去の人間達の姿が存在するのである。

そしてその姿はあり得べき日本人の姿としてアニメやゲームで表現される。多くの主人公は戦いから逃げず、例え犠牲を払ってでも国を守るために戦うのだ。この空想と現実とのギャップはアニメだからとかゲームだからとか、そのような割り切り方で理解されるものとも思えない。生き方として分裂した空想と現実の住人は、いつしか再会の時を迎えるような気もする。

そのような状況のシミュレート、来るべき日のためのロールプレイング、そのような位置づけとしてRPGを見ることは極めて突飛で噴飯物であろうが、日本人の二次元に対する距離感というものは世界の中でもかなり異質なものであることは確かだ。作り物の人形を抱えて『俺の嫁』だと叫ぶ精神病患者は、本物の人生を歩むことができない現代病のひとつである。


GTAというもの
『グランドセフトオート』(GTA)というゲームを知っている人は多いと思う。このゲームはRPGとしての極点をなしている。そしてそれが物議を醸し出していることもよく知られている。

その多くは残虐な表現についてのものであるのだが、しかしそれには多くの疑問がある。

そもそも、アニメや映画に対する年齢制限とゲームに対する年齢制限の考え方は全く違うものでなければならない。そのことがわかっていない有識者が多い。

GTAにもし罪があるとすれば、それは『現実をそのままに表現してしまった』ことにある。これには大いに皮肉が入っている。

銃を人に向けて引き金を引くとどうなるか? 答えは銃弾が人体を損傷し殺すこともある、といったところだろう。これはGTA特有のルールでもなんでもない。残虐な表現をするために非現実的な状況を設定したわけでもなんでもない。現実をそのままシミュレートしただけの話だ。しかしこれは年齢制限に引っかかるという。おかしな話だと思いませんか?

GTAのロールプレイング要素は人間が罪を受けない状況になるとどう行動するか、ということをあられもなく表現してしまうことにある。簡単に言えば、透明人間になったら男は大抵女湯に潜り込むということをご丁寧に教えてくれるわけだ。理性のタガが外れると人間は欲望をむき出しにして行動する。その自由を与えてくれるゲームがGTAというものだ。

実際のところ、例えば銃を通行人に向けて撃ったとしよう。頭がふっとんで血が飛び散って死亡する。リアルになればなるほどそれは撃ったプレイヤーに対して人を殺したトラウマを与えることになる。それを人間が楽しむことが出来るのだとしたら、それはゲーム制作会社に文句を言うことではなくて親か神様に言わなければならない。どうして人は人を殺すのですか、と。

海外のゲームに共通する俯瞰視点というものがこのゲームにも色濃く反映されていて、ゲーム内で息づく街の人々に何をやっても許される(ペナルティは後付である)状況というのは日本人的なあり得べき姿とのギャップという観念とは全くことなる。極めて幼稚なおままごとそのままの状況がGTAなのである。GTAのロールプレイは不死身の体を許された子供がやりたい放題できる小学校低学年の行為なのだ。表現的には18歳以上限定なのかもしれないが、やってることは小学校低学年限定なのである。

現実の世界を精巧に作り上げて完全なる自由をプレイヤーに与えるゲームは、真夏に冷房を効かせて熱々の鍋を食うようなものだ。それが面白い事は確かに認めるのだが、元々自由な空間であるはずのゲーム世界に現実のルールを作り上げることの面白さは今ひとつ日本人には受けない。社会的に疎外された状況に積極的になろうとする人もそれほど存在しない。結局のところ、GTAが提供するこの自由を楽しめるほど精神的に劣って(または優れて)はいないのである。

RPGの極点としてGTAは存在するが、その楽しみ方がゲームファンの一部に限定されるのは、日本人特有の分裂された自己に対する欲求に答えられないからであろう。何でも出来る自分などよりも、何かを期待されてそれに応えられる自分というものに強い憧れを感じるからではないだろうか。社会学者の言う、『自己の承認』が欲しいのかも知れない。


・大人にとってのRPG
カードをぶつけ合って戦闘を楽しんでみたり、コックピットに乗り込んでロボットを操ってみたり、馬を育てて走らせてみたり、日本人というものは多くのなりたいもの、やりたいことをゲームによって体験してきた。特に子供にとって未知の世界は好奇心を刺激してやまなかった。

ならば、大人にとってRPGとはなんだろうか。昔を思い出してゲームを買っても積んであるだけで遊んでいない人は多い。長い冒険に期待しないわけでもないが、さすがにレベル上げをこつこつ行うような時間もないし、何よりモチベーションがわかない。だったらプレイ動画でも見てやった気になるほうがタダだし早い。恐らくゲーム好きであればあるほどゲーム解説を読めば大体のプレイ内容は想像でき、その過程ですでに飽きてしまうのである。未知の刺激に対して好奇心よりも面倒くささを感じてしまい、大して違わない体験ならする意味がないという諦めが先に立ってしまう。ゲームを買いたくても買えない大人はたくさんいると思うし、自分もその一人である。不幸なことだと思う。

wiiが売れたのはリモコンを振って遊ぶという体験を誰もしたことがなかったからだし、初めから諦めなどとは無縁の存在だったからだ。まあ、がっかりということはあると思うが、どうせ同じだろうと頭から諦めるよりはましである。

PSPが売れたのは『理』である。動画が見れて音楽が聴けてゲームが出来てネットも見れる、これで2万…。というような理詰めの結果だ。これは大人が意志決定する上で極めて当然の判断である。しかし、結果的にモンスターハンターの大ヒットで売れたというのはいささか意外だった。結局のところゲーム機に過ぎなかったのだなぁと改めて思い知らされた感じだ。

RPGが誰かにとっての人生であるとすれば、自分の人生こそが最大にして楽しむべきRPGであらねばならない。ゲームファンはそこで少々不自由を感じている。それは社会のせいであるかもしれないし自分のせいであるかもしれない。または一時の状況に過ぎないのかも知れない。大人になって自分の立ち位置が定まれば自然とRPGから離れていくだろう。家庭を持てば新たなRPGが始まりもする。

遊べなくなってしまった自分を悲しく思うのか、それとも楽しませてくれるゲームが無いことを嘆くのか。それは怪しく絡まり合いゲーム離れを加速する。ゲームは今、暇つぶしか教育という現実に付随する形で居場所を固めつつある。確かにそれは賢い選択で社会的に認められる位置だろう。しかしそれでいいんだろうか。

ゲームの影響力は小さい。それはテレビや映画などと比べれば途方もなく小さい。マイナーなメディアとしての立ち位置がまるで権力者にすり寄る商人のようではないか。テレビのネガティブイメージに完全におもねっている。もう批判の対象にすらならない。GTAを過激だと批判したところで、どれだけの人間が真剣に考えるのか。そもそもゲームファンの一部以外は知りもしないだろう。

作られた現実世界で好き勝手に出来るゲームは結局のところ箱庭として暴力の流出を防いでいる。権力の座を巡って他のメディアと戦うには、所詮子供だましのおままごとだ。プレイヤーに影響を与えるようなRPGというものはおそらくこのような場所にはない。

大人が求めるRPGはGTAよりももっと過激であるのかもしれないなぁ。