Nonkunのブログ

主にゲーム関係について書いてます

ゲテモノ食いの時代

趣味や嗜好の世界で一般的な価値観から外れているようなものを下手物(ゲテモノ)というが、ひとつの分野が極まってくると新しい価値観を求めてそのようなものを持ち上げるところがある。

王道というところに確かな価値観があり、それさえあれば特に不自由するところなどないのに、人はあえて別の無価値で危険なものに興味を持っていく。それは強制されたわけでもなく利己的なものでもないのだが、理不尽な衝動というものに人間はあえて身を任せる。

普通の人、そのものにさして興味のない人にとってはあまりにも奇怪で醜悪であるにもかかわらず、普通ではない人、そのものに入れ込み飽き足らない人にとっては美しく至高のものになる。空腹こそ最高のスパイスという言葉は料理人の努力を無にする暴論ではあるのだが。

なぜこういうことを書くかというと、職場にいるアニメ好きの若い人と話して感じたからである。

昨今のアニメ・ラノベ界隈は華やかで熱気があり、しかも玉石混淆という状況は、ファミコン初期のゲームソフト群に似ている。ひとつヒット作が出れば似たようなゲームを乱発し、作品のクオリティというものに頓着することなく一発当てようと様々な業界から発売が相次ぐ。それは高度な技術を必要とし、品質管理が徹底している工業製品とは比べられない嗜好品としてのゲームの弱点でもあるのだが、しかし売れてしまえばそれでおしまい、買った方が悪いという状況が当たり前のように存在し、子供達は涙をのんでいわゆるクソゲーというものと付き合ってきた。もちろん、本質は現在でも変わっていない。

それでも、ファミコンはまだゲーム文化が花開く黎明期であり、そのような状況が許されるともなく受け入れられた時代だった。ゲームに何ができるかを天才たちが模索し続けて新たな娯楽を作り上げる熱気に満ちた時代である。現在の虚飾に満ちて肥大化したゲームにはない鋭さを持ったゲームがむしろ多かったように思う。ジャンル分けというものが意味を持った時代でもある。

しかし、アニメは違う。アニメは古くから存在し文化として日本に根付くほど作られ続けた。作品としてのクオリティを評価する土壌もきちんとある。一部のオタクの嗜好品というイメージはついになくなり、日本文化を代表するものになった、らしい。

そこで、アニメを観ようと深夜にテレビをつける。半裸の少女が武器を片手に少女に斬りかかる。キャラクターがネットのスラングをしゃべる。少女の裸体を隠すため画面を覆い尽くさんばかりの大きなぼかしが使われる。一体なにが起こっているのか、文字通りわからない。

若い人はさぞかしそのようなアニメを楽しんで観ているのだろうと思ったら、案外そうでもないらしい。「面白いアニメなんてないんですよ」と言う。じゃあなんで観ているのと聞くと「いいところを見つけて楽しむ」との事。

つまり、面白いから観るとかつまらないから観ないというものではないということである。判断基準が違う。

彼はラノベもどの新刊が出るのか専門誌を読んで調べ、マンガ雑誌もジャンプやマガジンぐらいしか知らないおっさんとは違い、コンビニには置いていないマンガ雑誌も買って読む。言わば、オタクのサラブレッドである。年も25歳ぐらいで、まさに売る側が仕掛けるターゲットそのものであると言える。しかし、当の本人がある意味冷めているようなところがあるのだ。

「ストーリーはほとんど出尽くしている」「面白いものなんてもう作れない」などとどこかの巨匠みたいなことを言っている。作り手側がそのような愚痴を言うこともあるだろうが、受け手がそのようにあきらめているというのはどういうことなのだろうか。

それは一種の飽和状態であり、飽食の時代が生み出すB級グルメの流行なのであろう。表現が先鋭化し内容が細分化することによる王道の否定。同じ事の繰り返しに飽きた王様の奇行。しばしば歴史に散見される異常行動の原因である暇つぶし。そう、アニメは暇つぶしの行きつく先に選ばれているのだ。

およそ把握することのできない大量の作品、しかもラノベ・マンガ・アニメというジャンルの違うものをすべて消化しようと思ったら、舌もおかしくなるのはしょうがない。正当な評価といったものが意味をなさなくなり、個人の感覚がすべてにおいて優先されてしまう。そういう状態になれば価値というものは他との差異に収斂され、奇抜なものがもてはやされるようになるのは明白である。

まともな評価をするに値しない文化、それがアニメであるとすれば、日本文化の象徴として語られることは大いに皮肉を含んでいる。自由と平等を求めると無価値に行き着くということを証明してしまっている。

アニメ好きの彼は何も評価せず、すべてを受け入れ、面白いところを見つけて大量の作品を消化していく。それが今の若者のおたく文化なのかどうかはわからない。ゲテモノ食いを続けてバカになってしまった舌で、いったい何を求めるのだろう。いや、何も求めないというところに新しい価値観があるのかもしれない。