Nonkunのブログ

主にゲーム関係について書いてます

あけおめ2011

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

かろうじて新年の挨拶だけは続けようとは思っていますw

個人の情報発信の場というのはどんどん軽いものへとシフトしていて、とうとう一言コメントの羅列というところまで来ました。ケータイのメールをリアルタイムに表示して、尚かつ他人のものまで読めるようにしたようなTwitterは、今情報交換の場として利用されています。

基本的にはこういったツールは利用する側の労力が必要になるので、やる人はやるけど面倒くさい人は全くやらないという存在になっています。情報がそこまで必要なのか、他人の言っていることがそんなに気になるのか、そういうことに疑問を持つ人は恐らくやってないでしょう。自分も今のところはやってないです。

情報の即時性というものに敏感な人々にとってはこの上ないツールなのでしょうが、そこまで自分の世界をネットに預けていいのかという思いもあります。

ゲームの世界もソーシャルゲームが流行し、ネット上に自分を預けるタイプのゲームが増えてきました。一時期オンラインゲームの中毒性が話題になりましたが、場所と端末を選ばないケータイゲームは常に半身をネット上に預けているような感覚を与え、ゲームというよりも人とつながる事に対する渇望のようなものを満たす存在として利用されています。昨今は無料とうたいながら実はアイテム課金など有料であることに気付かず高額な利用料を請求されてトラブルになることも増えています。どうしても僕のようなファミコン世代は胡散臭い印象を持ってしまいます。

情報というのはその人の存在そのものを象徴するようなもので、本来は人間に付着し現実的な交流の場を形成するものであるはずが、身元不明の情報が不特定多数の人々に行き渡り現実感を伴わず利益を生むという錬金術的な状況になっています。わざわざネット上に自分の存在を預け現実感を喪失しておきながら、地に足の付いた人生を送っている人を指してリア充と呼ぶというのは、自分をわざと非難したいだけなんじゃないかと勘ぐりたくなります。情報過多が人の人生を浸食して食い散らかしているさまをまざまざと見せつけられているような気分です。

果たしてこれが幸せなことなのかどうかというのは、現在利用している実験台のみなさん、言い換えれば人生のテストプレイヤーの方々が証明してくれるはずです。浪速のことは 夢のまた夢と散っていくんでしょう。それもまた人生ということでしょうか。

今年はやることをやるということで、まあなんとかしたいなと思ってます。